About

原田裕規は、ラッセンや心霊写真など、社会的には「とるにたらない」とされているにもかかわらず、人々が嫉妬や恐怖などといった強い感情を向けてしまう事象にスポットを当て、近代社会の無意識を炙り出すかのようなプロジェクトで知られている美術家です。
原爆の図 丸木美術館で開催される「写真の壁:Photography Wall」は、原田が2017年から回収を続けている膨大なイメージ(写真)が、これまでとは全く異なる手法で展覧される初めての機会となります。

広島で被爆した祖父を持つ原田は、広島への原爆投下という惨事にある一定の当事者性を覚えながらも、決して当事者を自認することはできない「越えられない壁」に直面していました。
かつて広島で起きた出来事について、遺された写真や伝聞として二次的な体験をいくら積み重ねたところで、そこには容易に想像力をしのばせることのできないイマジナリーな壁があったのです。

しかしあるときから、こうした壁は原田のみが直面しているものではなく、かつて起きた惨事に対峙するすべての人々、ひいては被爆しながらも(爆心地から物理的/時間的に距離が離れていたがために)生き延びた被爆者の中にも共通して存在するものではないかと考えるようになりました。
なぜなら、惨事の核心で「爆心地」を目撃した眼は、原爆が炸裂した瞬間にすべて消滅してしまっているからです。そうであるがゆえに、原爆投下の数日後に広島へ足を踏み入れながらも、見事に《原爆の図》を描き上げた丸木位里・俊の仕事には意味があると言えるのではないでしょうか?

本展では、このイマジナリーな壁が「写真の壁」に見立てられ、丸木美術館に出現します。
その壁は、私たちがまとまったイメージ(写真)に対していかなる関係性を構築しうるかについて、静かに問い掛けてくるでしょう。
さらに、近年制作・発表された(心霊)写真をテーマにした新旧作品と「写真の山」も併せて展示される予定です。
みなさまぜひ、原田の新しい展開をご高覧ください。


展覧会名
原田裕規「写真の壁:Photography Wall」

会場
原爆の図 丸木美術館
会期
2019年2月2日[土]– 3月24日[日]月曜休館(祝日の場合は翌平日休館)
9:30–16:30(3月1日[金]以降は9:00–17:00)

入館料
大人900円 中高生または18歳未満600円 小学生400円
団体(20名以上)、60歳以上、チラシ持参者、比企地区在住者100円割引
障碍(しょうがい)のある方は半額

ロゴデザイン
北岡誠吾
インストール
コ本や honkbooks
照明デザイン
伊藤啓太

主催
公益財団法人 原爆の図 丸木美術館
助成
公益財団法人 アイスタイル芸術スポーツ振興財団

展覧会名原田裕規「写真の壁:Photography Wall」
会場原爆の図 丸木美術館
会期2019年2月2日[土]– 3月24日[日]月曜休館(祝日の場合は翌平日休館)
9:30–16:30(3月1日[金]以降は9:00–17:00)
入館料大人900円 中高生または18歳未満600円 小学生400円
団体(20名以上)、60歳以上、チラシ持参者、比企地区在住者100円割引
障碍(しょうがい)のある方は半額
ロゴデザイン北岡誠吾
インストールコ本や honkbooks
照明デザイン伊藤啓太
主催公益財団法人 原爆の図 丸木美術館
助成公益財団法人 アイスタイル芸術スポーツ振興財団

Statement

「写真の壁:Photography Wall」によせて

この展覧会は、実にたくさんの「失敗」によって形づくられている。

原爆の図 丸木美術館で個展を開催する話が持ち上がったのは、この展覧会が開かれるちょうど3年前、2016年2月のことだった。そのとき行われていた展覧会を見るために美術館を訪れた際、以前から交流のあった学芸員の岡村幸宣さんとお話ししている中で展覧会の打診を受けたのだ。

丸木美術館に関心を持ち始めたきっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災にまで遡る。
特に福島で起きた原発事故は、広島で被爆した祖父を持つぼくにとって、自分自身のスタンスを迫られるかのような出来事に感じられた。しかし、結果的にそのときにはいかなるスタンスを持つことにも「失敗」し、原発事故の直後も、放射能被害を恐れて東京から広島へと「逃げる」ことしかできなかった。

その逃げ帰った先の広島で行ったことは、過去の芸術家たちの仕事に目を向けることだった。
そのときに目に止まったのが、《原爆の図》を描いた画家、丸木位里・俊夫妻である。

原爆投下の数日後に広島入りした丸木夫妻は、その惨劇をリアルタイムでは目撃しなかったにもかかわらず、人々の話や残された資料から広島で起きた悲劇を「想像」し、原爆投下から5年の時を経て最初の《原爆の図》を発表した。
それは、50年代の美術界で流行していたルポルタージュ絵画とは異なり、群像画や歴史画、あるいは東洋画と西洋画などのさまざまな形式が融合した異色の絵画であり、丸木夫妻の独自のスタンスを形づくるのに「成功」した作品だった。

1945年8月6日を広島では「過ごさなかった」ことも含めて、《原爆の図》には、丸木夫妻とヒロシマとの関係性が色濃く刻印されている。
2016年2月24日、そんなことを思いながら改めて《原爆の図》の前に立っていたその日に、この展覧会の最初の萌芽があったのだった。

そしてふと、意識を目の前にある《原爆の図》から自分自身へと向けてみる。すると、1945年8月6日を広島で過ごした祖父を持ち、6才から19才までの期間を広島で過ごしたにもかかわらず、自分自身が「ヒロシマ」に対していかなるスタンスも持てていないことに気付かされた。

その後の3年間は、「ヒロシマ」と、丸木美術館と、そして《原爆の図》と自分自身との関係性を模索する苦悩の期間になった。

最初に構想したのは、ヒロシマに限定しないさまざまな「悲劇」を、これまでの芸術家たちがいかにして表してきたのかを、時系列ではない独自の軸に沿って並べるアトラスを制作することだった。
しかし実際に作業を始めてみて気が付いたのは、過去の「成功」から見えてくるものはその試行錯誤のごく一部に過ぎず、むしろその背後に埋もれた膨大な「失敗」にこそ自分自身が見てみたい試みがあるということで、それはすなわち、可視化(記述)された歴史以上に不可視化(忘却)された歴史に対して、自分自身が関心を抱いていることを意味した。

しかし、そうした関心は「アトラス」の形式とは齟齬をきたす。
そうしてこの構想は「失敗」に終わった。

次に試みたのは、日々のルーティンワークの中から「忘却された歴史」に似たものを探す作業だった。
記述された歴史がタイムラインに打たれた特異「点」なのだとすれば、点と点の間にある「線的なもの」の中にこそ「忘却された歴史」と似たものがあるかもしれないと考えたのだ。

だが、日々のルーティンを突き詰めれば突き詰めるほど、「ヒロシマ」という人類史的な特異「点」と向き合う試みが遠く離れていくのを感じた。
「線的なもの」の追求によってヒロシマという「点」を浮かび上がらせるためには、それ相応の膨大な時間が必要になるのである。しかし、展覧会のために残された時間はそう多くはない。そうしてあっけなく、この試みも「失敗」に終わった。

そのようにして、いくつもの挫折を積み重ねていきながら、それらと併行して、心の整理もつかないままに続けていた作業がある。「写真回収」だ。

写真を回収し始めたきっかけは、産廃業者や清掃業者らによって集められた引き取り手のない写真が日々膨大に捨てられているということを聞いたことにある。
そこで業者に取材してみたところ、実際にはそれらの写真のすべてがゴミに出されているわけではなく、選ばれた「特異な写真」が古物商などを通して売りに出され、そこで選ばれなかった「普通な写真」は捨てられていることが分かった。

ちなみに、「特異な写真」に最も多いのは戦前・戦中の写真である。
それらの主要な買い手はレトロマニアであり、彼・彼女らの欲望が支える蚤の市やインターネットなどの市場に依存する形で、一部の芸術家はそうした写真を「ファウンド・フォト」として作品化し、一部の歴史家は「歴史資料」として活用している。
それらの呼称が「レトロ写真」であれ「ファウンド・フォト」であれ「歴史資料」であれ、写真が何らかの特異「点」としてカオスの中から発見され、価値を見初められたという点では共通した構造の上に成り立つものだ。

それに対して、そこで「選ばれず」に捨てられている写真群は、第一に、特異な「点」としての「価値ある写真」を取り囲むように存在する「線的なもの=無価値な写真」であり、第二に、写された内容も散漫なとるにたらない「普通の写真」である。
だが、これらの「線的」で「普通」なイメージの群れこそが、丸木美術館での展覧会を準備する上で辿り着きつつあるものに近いような気がした。

最初にそのことを思ったのは、2018年11月、ざっと見ただけで数万枚はあろうかという「引き取り手のない写真」を業者から引き取り、東京に戻る車を走らせている高速道路上のトンネルの中においてだった。

そうした写真群は2017年から回収を進めており、すでに何度か展覧会で発表はしていたものの、まだ一度も「作品」として展示したことはなく、あくまで作品に付随する「資料」としてしか展示できずにいた。
なぜなら、芸術作品という「価値あるもの」は、そうした「無価値なもの」の本質と真っ向から対立する概念だったからだ。つまり、ぼくはそうした写真群を扱う際にも、作品にすることに「失敗」し続けていたのであった。

そうした失敗、あるいは写真との「関係のつくれなさ」が、ヒロシマという無数の語りや記録によって形成されるイメージとの「関係のつくれなさ」と呼応して感じられた。

もちろん、ヒロシマとそうした写真群は完全に異なるモチーフである。
しかしそうした「関係のつくれなさ」、あるいは「失敗」そのものを展覧会のテーマにすることにおいて両者は問題を共有するのではないかと思った。そうした経緯のもと、それまで進めていた展示のプランを大幅に変更し、写真を用いて「関係のつくれなさ」と「失敗」に向き合うことを決めたのが2018年11月のことだった。

そして、そのときにふと浮かんだイメージが「壁」だったのである。
「関係のつくれなさ」に向き合ってみるということは、一見して、作者としては対象と「関係を持つこと」を諦めているように思われるかもしれない。だが、それは違う。

少なくともぼくには、「ヒロシマ」や「選ばれなかった写真」と主体的な関係を持つことはできなかった。しかし、だからと言ってその前で頭を垂れることもしたくない。それでは、何をするべきか?

おそらくそれは、とても「無関係」なもの、あるいは「唐突」なものとの邂逅の瞬間をつくることではないかと思う。それは「出会い頭」のイメージである。あるいは、垂直に立つものが発する雰囲気である。
そうした「思い付き」と視覚的感性が脳内でぶつかったとき、唐突に《写真の壁》のビジョンが浮かんできたのだ。

そうして2018年11月25日、高速道路上のトンネルにおいて、その唐突「の」イメージに展覧会の全てを賭けることを決めた。

このようにして、本展はきわめて冗長で、複雑で、まとまりのない過程のもとつくられることになった。
それは何かの特異「点」を表すものではなく、冗長に延々と続くこのテキストのように「線的なもの」である。
1945年8月6日から遠く離れたところにある2019年において、いくつもの「失敗」に直面しながら、最終的にはその「失敗」そのものを題材に「唐突」そのものを形づくることを選んだ展覧会である。

2019年2月1日、設営最終日の夜、初めて完成した《写真の壁》を目の当たりにした。
そのとき、目の前に現れた壁に対して、自分はまだ語るべき言葉を何も持ち合わせていないという実感を持った。
そしてもしかすると、丸木夫妻が「原爆投下」というとりかえしのつかない出来事に初めて触れたとき、あるいはその体験をもとに最初の《原爆の図》を描き上げたとき、2019年2月1日の丸木美術館でぼくが覚えたそれと似た感慨を覚えたのではないかと思った。

2019年2月11日 原田裕規


Event

オープニングトーク
原田裕規(本展作家)
聞き手:岡村幸宣(丸木美術館学芸員)
2月2日[土]14時開始 参加自由(入場料別途)

トークイベント「写真を展示すること/しないことについて」
きりとりめでる(現代美術・写真)× 原田裕規(本展作家)
2月17日[日]14時開始 参加自由(入場料別途)

トークイベント
椹木野衣(美術評論家)× 原田裕規(本展作家)
3月17日[日]14時開始 参加自由(入場料別途)


Profile

原田裕規(はらだ・ゆうき)

1989年生まれ、美術家。社会の中で取るに足らないとされている「にもかかわらず」広く認知されているモチーフを取り上げ、議論喚起型の問題を提起する作品で知られる。
作品の形態は絵画、写真、展示(インスタレーション/キュレーション)、テキストなど。代表的なプロジェクトに「ラッセン」や「心霊写真」を扱ったものがある。主な個展に「心霊写真/ニュージャージー」(Kanzan Gallery、2018年)、編著書に『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社、2013年)、企画に「ラッセン展」(CASHI、2012年)など。

1989年 山口県生まれ
2013年 武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業
2016年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程先端芸術表現専攻修了
2017年 文化庁新進芸術家海外研修制度研修員としてニュージャージー(アメリカ)に滞在

http://www.haradayuki.com

「写真の山(仮)」2018年7月、推定およそ10,000枚の写真(当時)、サイズ可変

installation View


Review

長沢秀之「「写真の壁:Photography Wall」―原田裕規―」『NAGASAWA Hideyuki Blog』
2019年2月24日
https://nagasawahideyuki.net/blog[2019/06/25アクセス]

「埋もれる原爆の記憶 表現」『中国新聞』中国新聞社、2019年3月1日朝刊
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=89784[2019/06/25アクセス]

きりとりめでる「壁でかたちづくられる原田裕規」『丸木美術館ニュース』137号、原爆の図 丸木美術館、2019年4月、p. 6

中島晴矢「表象不可能な「山」と「壁」」『月刊アートコレクターズ』114号、生活の友社、2019年6月、pp. 102-103
https://www.tomosha.com/collectors/9506[2019/06/25アクセス]

村上由鶴「無関係なものとの関係をとりもつ無価値」『FOUR-D』issue 5、YOHEI SARUYAMA、2019年5月
https://iiii-d.stores.jp[2019/06/25アクセス]


Access

お車の場合
・関越自動車道、東松山インターチェンジより小川方面へ約10分

電車の場合
・「森林公園駅」南口よりタクシー12分、もしくは徒歩50分
・「つきのわ駅」より徒歩30分
・「東松山駅」東口よりバス「唐子コース」(日祝運休)に12分乗車し
 「丸木美術館東」で下車、さらに徒歩15分

市内循環バス(唐子コース)時刻表(日祝運休)

東松山駅東口発
丸木美術館東
8:55
10:00
11:05
13:30
14:30
15:55
丸木美術館東発
東松山駅東口
10:32
11:37
14:02
15:02
16:27
17:32